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会員紹介

 
「絵手紙で富士山追っかけ」
荻野 清士 (新制8期)

「江戸連」代表理事 平松 斉(旧制3期)
 “新制8期に荻野なんて知らないよ”と云われそうなので、釈明からスタート。1年留年して8期となったものの、5年目は、かの「憩い食堂」止まりで教室に出なかったので友人がいない。7期の幹事に泣き付いて、顔なじみの多い7期の方で同窓会の付き合いをさせてもらうことにした。新制8期の皆様には不義理を重ね申訳ありませんでした。
  1998年、3期12年間務めた香川県副知事を退任し、“サンデー毎日”の生活に入った。現職中は付合うグループの固定化を避けるためゴルフとマージャンを止めてしまったので、新たに暇つぶしの趣味を見付けるのが急務となった。
  その時の助っ人が、仕事で親交のあった小豆島の元町長の川西寿一氏。私に「絵手紙」をすすめ、亡くなられるまでの6年間、私の絵手紙の受け手となって温かく指導していただいた。
  「絵手紙」は、ハガキの裏側に絵と言葉を書き、表側に宛先と便りを書いて仲間とやりとりをする。子供の頃から図画習字が大の苦手だった私は、絵手紙のモットーが「ヘタでいい、ヘタがいい」ときいて心を動かされた。絵手紙は絵や書の技法の上手・下手は問わない。自分が感動したことをヘタはヘタなりに一所懸命心を込めて描けば相手に気持ちが通じるというのだ。優劣を競う価値観に慣れた私には、とっても新鮮な考え方に思えたし、60過ぎてからの手習いには誠に好都合なキャッチフレーズと映った。
  毎日欠かさず描く「毎日練習マラソン」が8年目に入り、総数がハガキ換算で16,000枚を越えた。交流仲間は約80人。1日平均5枚をポストイン。本格的な絵画だと完成までに日数を要するし、人に見てもらう機会も限られる。その点絵手紙は時間もかからないし、50円切手ですぐに仲間に見せられる。返事に追われてサボれないのも、私のような三日坊主にあっているのかもしれない。
  私の絵手紙の特色は、「富士山追っかけ」が全体の約1/3を占めること。初めて富士山を描いたのは、絵手紙を始めた翌年の2000年の秋。新幹線から「速写」した幼稚な略画を、絵手紙の創始者である小池邦夫先生(日本絵手紙協会会長)から「飾りも構えもなくていい」とほめられたのだから舞い上がってしまった。
  バス、電車、飛行機から手当たり次第に速写するようになった。20年間気付かなかった横浜の団地から小さな富士山を発見してからは、朝の散歩をかねて富士山を探し回った。ピークの2002年は、追っかけ回数が194日でスケッチ1,027枚という狂いぶり。とうとう「狂富士」のニックネームを頂戴した。
  交流仲間にも富士山スケッチは評判がよかった。みんな頭の中に自分の理想の富士山イメージや思い出の富士山があり、私のスケッチを見るたびに、それらが再現されるのだろうと思っている。
  2003年に東京と大阪で開いた「富士千景展」と、昨年の「富士三千景展」には、新制7期の皆さんが大勢集まって盛大に祝って下さった。いつもの絵手紙展では男性の姿は珍しいのに、私のは1/4が男性とあって、主催した日本絵手紙協会も大喜び。絵手紙愛好者のわずか5%が男性で、何とか世の男性諸氏にも絵手紙をアピールしたいのが協会の宿願なのである。
  只今「富士3,586景」。順調にゆけばこの青雲会報が出る頃には、富士山の高さである「3,776」景に近づいているかも。





 
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